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タイトルはアヤシイけども、本文はぜんぜんアヤシくないので安心してください(笑)。
ハード・コアな慈善事業家のお話です。

さて・・・・・

Duty Free Shoppersの創設者は決して自分の名を明かさないことを条件に、匿名で各国の大学や病院、IRAの平和事業等へ寄付を続けた。のちに彼は財団を創設するが、2006年度の寄付総額は$458 million。$458 millionが日本円でいくらになるのか計算がつかない。途方もない金額で想像の域を軽く超える。$を積むと富士山でいくつになるのやら。

山形浩生さんの説明によれば
「(彼は)世界のあちこちに出かけては、事業機会を見つけてそこに寄付を始めた。アイルランドの大学、ベトナムの病院、オーストラリアの大学。IRAのテロ解除への貢献。すべて自分で見つけてきて、自分で寄付の是非を判断し、そしていったん決めたら数ヶ月以内にすさまじい金額をつぎこむ(通常の寄付財団は殿様商売で評価能力も低く、事務手続きが煩雑でお金がくるまでにえらく時間がかかる)。しかもその寄付の規模は半端ではない。そこにはかれの事業者としての嗅覚が徹底して活かされている。」
( 『無一物の億万長者:ビジネスと慈善』より転載)

慈善事業家の名前はチャールズ・フィーニーCharles F. Feeney こと、チャック・フィーニーChuck Feeney。彼はForbesの世界長者番付にランクインした経験もある。そしてランクイン騒動がおさまった頃に、彼は自分の資産をすべてつぎこんで、慈善のための財団The Atlantic Philanthropiesを設立した。

90年代に入るとチャック・フィーニーさんは財団が持つDFS株をルイ・ヴィトン(LVMH Moet Hennessy-Louis Vuitton)へ売却する。しかしその後も彼の慈善(=奉仕)活動はおさまらない。
おさまらないどころか、DFS株の売却は彼の才覚だった。

「富士山がいくつできるー?」などとバカげたことを考えてしまう私なんぞは
そんなチャック・フィーニーさんへ、今でいうところの安易なセレブリティ像を重ねてしまう。
しかし彼はそんな下らないことにはまったく関心がない。彼は筋金入りの慈善事業家なのです。

「(彼は)家すら持っていない。飛行機は常にエコノミー。車もなければヨットも持たず、どこへ行くにも公共交通。通常なら肥大化し、自己目的化するのが通例の財団の末路を避けるため、オペレーションは必要最低限の人員で行われ、世襲を避けるため、家族は財団運営にタッチさせない。そして財団そのもののすべての資産を、2020年頃までにすべて使い果たすことが宣言されている。ちなみにこれは、ちょっと考えるほど楽なことではないとのこと。チャック・フィーニーの鑑識眼があまりに高いために財団基金の投資はうまく行きすぎていて、やたらに儲かる投資ばかりなのでなかなか減ってくれないのだとか。」
( 『無一物の億万長者:ビジネスと慈善』より転載)
 
チャック・フィーニーさんは財団が借りているアパートに住んでいる。山形氏が指摘しているとおり飛行機に乗るときはいつもエコノミー・クラスで、日常生活は電車かタクシーしか使わない。

「富士山がいくつできるー?」の私は、フィーニーさんに関する記事をいくつか読んでいくうちに
彼の腕時計も気になった。
He Gave Away $600 Million, and No One Knew (The New York Times)by JUDITH MILLER 』によれば
「Harvey P. Dale, a New York University tax law professor and president of Mr. Feeney's Atlantic Foundation, who has helped Mr. Feeney orchestrate his gifts since 1982, said: ''He doesn't own a house. He doesn't own a car. He flies economy. And I think his watch cost about $15.''」
ということで、フィーニーさんの腕時計は周囲の人の推測によれば$15くらいらしい。
しかし『CHARLES FEENEY (Times) Dec. 29, 1997 By ROMESH RATNESAR』 には
「Reports of Feeney's modest trappings are true, save one--that he wears a $15 watch. A spokesman says it cost five bucks.」という記述がある。
「いやいや、あの腕時計は$5」なのらしい。

だめだ。腕時計くらいでキャーキャー言っていてどうする。
ハード・コアなフィーニーさんに「けっ」と言われるのがオチだ。
そこで、もう少しだけ調べてみた。

『Out of Sight, Till Now, and Giving Away Billions』 (The New York Times) September 26, 2007 By Jim Dwyerによると、フィーニーさんは2003年にロンドンで催された『対イラク軍事制裁を批判するデモ』に参加した。そして「なぜに寄付を匿名で続けていたのですか?」という質問に対してはモニョッていたのに、2003年にロンドンで参加したデモの話題では情熱的に語っていたらしい。
フィーニーさんの子どもたちの1人、レスリーさんは
「父親の慈善事業はエキセントリックだけど、自分は無尽蔵にお金を使うような人にならなくて良かった。子どもたちが普通の人になれたのは、そのおかげよ」と。
フィーニーさんのお子さんたちはそれぞれ自分の道を歩んでいるそうです。

そんなフィーニーさんのお言葉を 『Chuck Feeney』wikipediaより
"I had one idea that never changed in my mind - that you should use your wealth to help people. I try to live a normal life, the way I grew up,"
Feeney said. "I set out to work hard, not to get rich."
最後の言葉がしみます。
「オレは一生懸命に働く、それは金持ちになるためじゃない」というニュアンスでよろしいでしょうか。
私でもそんなことが少しでも言えるように、もうちょっとがんばりたいと思います。

という自分レベルの話はさておき、すごく強烈でおもしろい人がいるんだなぁ。
私なんかには真似できるはずはないのですが
何が彼をここまで駆り立てるのか、彼の考えに影響を与えたものは何か
それも知りたい。

というわけで、山形氏推薦の
The Billionaire Who Wasn't
 :How Chuck Feeney Secretly Made and Gave Away a Fortune

日本語版を読みたいです。
こんなblogを読んでくださる出版社さんがいらっしゃるとは思いませんが、
奇特な出版社さんがいらっしゃるかもしれぬ。

出版社さぁーん、The Billionaire Who Wasn't: How Chuck Feeney Secretly Made and Gave Away a Fortuneを翻訳出版してください。読みたいです。おねがいします!!!!

関連
『The Atlantic Philanthropies』
 フィーニーさんが創設した慈善団体。

『One Life to Give』
 フィーニーさんのインタビュー。彼の奉仕哲学について。『The Atlantic Philanthropies』HP内。
  
『Chuck Feeney: Giving While Living - Summer Series』
 2003年にオーストラリアのラジオ番組でおこなわれた、「チャック・フィーニーさんを語る」。
 もちろんご本人は出席していません。
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|03/09| コメント(1)TB(0)
あけまして おめでとう ございます

ALT-DESIGN@clipさんから頂いてきた、おめでちゅーカードです。うーん、かわいい・・・。
font_chu_chu_locket_s.jpg

本来、ALT-DESIGN@clipさんはネズミの可愛いフォントを無料配布していらっしゃるんですが
せっかくのフォントを使う予定のない私は特製カードを勝手にいただいてきました。


それと、テンプレを初めて替えました。お正月モードをめざしてみたのですが、んー、たぶんこのまま2月末くらい、いや3月末、4月末、5月末、6月末・・・・ええい、来年までこのテンプレで続けるかもしれません。
気が向いたら、またテンプレを替えるかも。


今年のお正月はウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を読もうと思い本も購入していたのですが、なぜか気が変わり、殴りあったり喧嘩したり、すぐに人へ石を投げたりしていた平安貴族の本を読んでしまいました。
この本です。

殴りあう貴族たち

『殴りあう貴族たち - 平安朝裏源氏物語』 繁田信一・著 柏書房 2.310円(税込)
平安時代の貴族といえば優雅なイメージがあったのですが、見事に裏切られました。たとえば「主人の家の前の道を牛車に乗ったままで通った」という理由で、家来たちが総出で手に手に石を持ち、一行めがけて投石。直接石を投げる行動をしたのは主人の貴族ではなく、従者たちがほとんどだったようですが、ボスはそれを容認するケースがほとんどだったそう。
呆れます。いい歳をした大人たちが何をしてんでしょうかねぇ、まったく・・・。子どもの喧嘩レベル以下。
ほかにも家を壊しに行ったり、宮中で殴りあったりetc、とにかく野蛮。
出版社の目次を見てみてください。
新年早々、平安時代に対する固定観念を潰してもらいました。
|01/03| コメント(5)TB(0)
「(素晴らしすぎてorハート釘付けで)だめだ」
    もしくは
「素晴らしすぎる」「素晴らしい」
の言葉しか出てこないようなこのblogですが
今月もまたメキシコ関係の本にめろめろになりそうです。

まずはこちら
『オアハカ・リンド メキシコのキュートな町』
著:アンダーソン優子  SHC産業編集センター出版部
2007年11月20日発売 1,365円(税込み)
20071123014957.jpg
(画像は『SHC産業編集センター出版部』から転載)
詳細はこちら『SHC産業編集センター出版部』公式↓
http://www.shc.co.jp/book/978-4-86311-006-9.html

まだ原本は入手していませんが
本編とは別のコラムで、死者の日やオアハカの聖母について
触れられているそうです。
出版社によれば「乙女なメキシコに会える一冊です」とのことですが
ガーリーからはほど遠い、死者の日好きの私にはたまりません。
購入決定です。

そしてアンダーソン優子さんが主宰されている
メキシコ輸入雑貨店『トレンサ』のHPを覗いてみたら、
フォトアルバムのコーナーがステキなこと(はぁと)。
特にガイコツ好きの私には7ページ目中央の
ガイコツ・クッキーにハートを鷲掴みされてしまいました。
こちら↓です。
http://blog.trensa.net/?page=6
表情が1枚ずつ違います。
ガイコツも生きていた時みたいに表情がさまざま。

実は、前から「ガイコツの砂糖菓子を作りたい」とは思っていたのですが
作ったところで紅茶かコーヒーに入れるしか活用できないと
諦めていました。
しかし、トレンサさんの写真を拝見して
「そうだ!!ガイコツのクッキーなら作れる」と気づきました。
料理の才能からは見放されている私にも、なんとかなりそうだ。
そのうちコッソリ作ってみることにします。

そうそう、
『オアハカ・リンド メキシコのキュートな町』出版に際して
イベントが京都と東京で開催されるとのことです。
東京が11月24日(土)まで、
京都が11月30日(金)~ 12月2日(日)まで。
イベントの詳細は http://trensa.net/evento1107.pdf
トレンサさんのblogでも様子を拝見することができます。
http://lovemexico.trensa.net/


次。


『フリーダ・カーロのざわめき』
著:森村泰昌・藤森照信・芸術新潮編集部 <とんぼの本> 新潮社
1,575円(定価)
20071123021239.jpg
(画像は新潮社から転載)

芸術新潮の特集を書籍化したものですが
私にとっては「買い」で、保存版です。
数年前にMことモリムラがフリーダを「美術」したときの展覧会。
あれは本当に凄まじくて美しく
ヘッドホンからMの声を聞いたときは、とても哀しかった。
もちろんヤバンギャルドの藤森センセイもポイントです。
詳細は
・『編集者のことば/フリーダ・カーロのざわめき』
 http://www.shinchosha.co.jp/tonbo/editor/2007/602162.html
・『書籍詳細:フリーダ・カーロのざわめき 』
 http://www.shinchosha.co.jp/book/602162/


そして最後に、フリーダの料理本。
『Frida's Fiestas
 :Recipes and Reminiscences of Life With Frida Kahlo』

20071123022310.jpg
(画像はAmazonから転載)
著者:Guadalupe Rivera Marinほか
詳細はhttp://www.amazon.co.jp/Fridas-Fiestas-Recipes-Reminiscences-Frida/dp/0517592355/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=english-books&qid=1195752920&sr=1-3

著者の1人はディエゴ・リヴェラの娘さんで、
フリーダがもてなした料理のレシピ集。
本文は英語で、しかも料理の才能がない私には
写真集としての価値しかないと思われるのですが、欲しい。
たぶん、そのうち買ってしまうことでしょう。



あ、また今日も長くなってしまった。
短くしようと思ったのになぁ・・・・。
|11/23| コメント(0)TB(0)
すみません。またいろいろしていたら日が空いてしまいました。
何度「すみません」と言っていることか、
飽きられているかもしれません。
お詫びに先日、某喫茶店の庭にあった石の画像を。
20071116232032.jpg



さて、2007年も残すところ1ヶ月と数週間になりましたが
2007年といえばケルアックの『路上』50周年。
そこで今回は記念に「路上」の長ーい原稿の画像と映像を
残り少ない2007年にねじこんでみました。


これはUSA Todayさんから頂いてきた
『路上』原稿の画像。
ontheroadyoko.jpg
USA Today
http://www.usatoday.com/travel/news/2007-01-18-on-the-road-manuscript_x.htm
オーラがすごい。
しかも、巻物の世界。
原稿であっても、美術品の雰囲気を漂わせているように思います。


そしてこちらは『路上』原稿を広げるところ。
Kerouac Scroll Unrolled

詳しいことはよくわからないのですが、現物を素手で扱っているのに対し、
ガラスを上から置くときには手袋を使っています。
現物に手の脂は付着しないのかしら。


こちらはケルアックが『路上』を説明したり朗読している映像。
Jack Kerouac Explains On The Road

若くて、そんなに饒舌そうではないケルアックに対し
パーソナリティのスティーブ・アレンが学校の先生みたいに見える。


『路上』といえば坂本一亀さんの功績も思い浮かべますが
『オン・ザ・ロード』というタイトルで青山南さんによる新訳が
9月に出版されたので、そちらも読んでみたいです。


関連
『オン・ザ・ロード (世界文学全集 1-1)』 
 ケルアック著 青山南 訳 河出書房新社
 http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309709413
|11/16| コメント(5)TB(0)
だいぶ前に買ったまま何年も読んでいなかった本を
何を突然思ったのか9月頃から細々と読んでいるのですが、
この本もその中の1冊。

『伝説の編集者 坂本一亀とその時代 』
20071024222104.jpg
著者:田辺園子 作品社 2003年
http://www.bk1.jp/product/02337822

河出書房の編集者であった坂本一亀(かずき)さんの評伝です。
著者の田辺さんは新卒後数年間、坂本さんの部下として河出書房に勤務されました。
その後、坂本さんの元を離れ、
編集者としてさまざまな作家を手がるとともに文筆活動もおこなっておられます。

この本を著したきっかけは
子息の坂本龍一(ミュージシャン)さんから頼まれたことがきっかけだそうですが、
当時、存命中の一亀さんは
「出版ハ、自分ガ死ンデカラニシテクダサイ。オ願イシマス。」
と白髪の頭を下げて著者に頼んだため、出版は一亀さんの死後となってしまったとのこと。
ただし、一亀さんは生存中に原稿を丁寧に読み、
おおまかな指示と細かい要望を著者に提示したそうですから、
この本は一亀さん公認の評伝といえるのではないでしょうか。
田辺さんの格調高い名文で坂本一亀さんの仕事ぶりが綴られています。

さて、坂本一亀さんが手がけた作家および作品は
小田実『何でも見てやろう』、三島由紀夫『假面の告白』、
高橋和巳『悲の器』、水上勉『霧と影』をはじめ
野間宏、中村真一郎、井上光晴、山崎正和、島尾敏雄、黒井千次、椎名麟三ほか
錚錚たるもの。
しかも各作家がまだあまり有名でない頃に坂本一亀さんが発掘し、
書き下ろしを頼んだのだそうです。眼力がすごい人だったんですね。
しかし、当時まだ無名に近い存在だった作家たちに書き下ろしを頼むということは
自分や会社がリスクを負う可能性もあったでしょう。

それでも坂本さんはピューンと竜巻を起して突っ走っている状態。
往々にしてこういう人がいると周囲は大変なものですが
やはり周囲の人たちは大変だったようです。
たとえば

 『坂本一亀の軍隊式命令の前では、部員たちはつねに結果を報告するだけで
 細かいいきさつなどを説明する状況ではなかったのである。
  坂本一亀は「俺ノ命令ダッ!」「言ウ通リニシロッ!」と、
 言論の暴力ともいえる命令を下すワンマン編集長だった』(p.126)

 『坂本一亀の足跡を辿ってみると、先鞭を付けた仕事の連続で、
 確かに「偉い人」に違いないとは思うのだが、
 その横暴ぶりは「偉い人」とはとても言い難く、
 坂本一亀は周囲の人々にとっては、しばしば「困る人」でもあったのである。
 軍隊方式は、職場で通用するものではない。井上光晴ならずとも、
 取っ組みあって打ちのめしたいと思う人は何人もいたのではないだろうか。
 坂本一亀が出社しない日があると、その日はほっとして伸び伸びしたものだった。
 (中略)
 一人前に仕事ができる編集者は、坂本一亀とともに長く仕事を進めることは出来ない。
 当時、河出の編集者で、別の部署にいた藤田二三男は、
 「決してスタッフとして働きたくないものだ」と記しているが、
 それは大方の本音であったろう』(p.142)。

 『「編集者はサラリーマンであってはならない」というのが、坂本一亀の持論であったが、
  それは坂本一亀自身が
  サラリーマンに徹した仕事が出来ないということなのではないか。
  人間同士の接触であれば、誰でも、
  ビジネスとばかり割り切ることば出来ず、
  相手によって人間的な思いを抱くことは当然でもあろうが、
  坂本一亀の場合は、
  それが通常人の場合よりも特に強いように私には見えた。
  坂本一亀は、いわば全身全霊をかけて、
  つねに精魂をこめて仕事に立ち向かう編集者であり、
  おざなりな進め方を嫌った人である』。(p.112)

たいへんだ。横暴と「困る人」。人と自分に区切りがない。
本当はとても繊細で傷つきやすい人だったのではないかと思いますが
仕事の場で「横暴と『困る人』」の度を超えてやられると、
たまったものじゃないですよねぇ・・・・・。こまる。
それにこういう人だち敵も多かったんじゃないでしょうか。


作家に対しても、仕事のやり方は変わらず。


たとえば黒井千次の場合
 『80枚程度の作品だったのだが、それからが大変だった。
  当時の記録をとりだしてみると、一月の中旬に書きあげて読んでいただいた原稿を、
  三月の末までかかってまず書きなおしている。
  八月までが二回目の書きなおし。次の年の二月までに三回目、六月中旬までが四回目。
  (中略)
  これでまた文句を言われたら、もう原稿をひきとろう。
  これで駄目なら、もういいです、と今日こそ言おうと思いながら
  (編者部の)真中のすり減った木の階段を何度も昇った。
  それと同時にこれだけやったのだからもう意地でもこいつを
  「文藝」の活字にしてもらわなければ引き返せないという気持ちも渦巻いて来る』
  (p.130)。

今の時代みたいにPCやワープロのソフトで原稿を打っていたのではなく、
手書きの原稿用紙の時代。
それだけでも「お疲れ様です」と頭が下がる思いなのですが
都合4回の書き直しということは、80枚が320枚にもなったんですね。
話を聞くだけでも、胃が痛くなります。
せっかく書いた卒論を書き直しさせられたというような、そんなやわいレベルではないです。
血を吐くような思いだったでしょう。


さらにもっと悲惨なのは『霧と影』を執筆していた頃の水上勉
 『・・・・推理小説というものを書くと本にしてくれる時節らしい。
  これならわしも書けるかもしれんと思うて、『霧と影』を書いたんや。
  それを坂本一亀という人がおって、それを四へん書き直させた。
  七百枚の小説を四へん書き直すと二千八百枚、コクヨの原稿用紙に書いた。
  ごぼっごぼっと四回とじた時の気持ち考えてみろよ。・・・・』。(p.82-83)

700枚が2800枚になってしまったとは・・・・。
手や指も相当痛かったと思う(そんなレベルの話じゃないけど)。
4回というのが一亀氏のキーワードなのかもしれませんが、
水上さんの場合は枚数が枚数だけに黒井さんよりもきついです。
申し訳ないけど、鬼ですね鬼。シゴキでしょう。

でもわかるような気もする。
偏執狂的にならないと「自分が」満足できるものが上がってこないこともあるから。
「何度聴いても1st albumに満足できない」といって、
スタジオに篭もったりミックスを続けている(今も続けているのかな)
The La'sのリー・メイヴァースや、
Pet Soundsを作っていた時のブライアン・ウィルソンみたいな人は、
そういうタイプの人じゃないかと。
ただし一亀さんはそれを命じる人なので、立場や環境が異なりますが。


悲惨話はつづくよ。


一亀さんが井上光晴の『地の群れ』(原稿用紙250枚)に携わったときは
  『二日後の夕方五時、新宿茉莉花でおち合い、
   便箋二十枚のノートを見ながら一枚目から読後感を述べはじめた。
   三時間のあいだ、きみ(井上光晴)は終始だまったまま聞いていた。
   細かい表現上のことはともかく、題名を変えること、
   一部分を独白体にすること、結末を書き足すこと等々は、
   きみの逆鱗にふれるかもしれないと思っていたが、
   一言「わかった」ときみは言った』(p.126)
3時間も黙って聞いていた井上光晴の心中はいかばかりか。
しかし井上光晴も水上勉も黒井千次も
先述の田辺さんの言葉
 『いわば全身全霊をかけて、
  つねに精魂をこめて仕事に立ち向かう編集者であり、
  おざなりな進め方を嫌った人である』を感じていたからこそ
従ったのでしょう。


そして三島由紀夫の場合

  『「仮面の告白」340枚の原稿は2回に分けて受領した。
   3月上旬に250枚と4月下旬に残り全部である。
   当初の締め切り予定は2月一杯であったが、
   筆を下ろしてから前後5ヶ月かかったことになる。
   追込みにはいる時点では連日徹夜状態であり、その督促ぶりのはげしかったことを、
   三島氏は例の嘲笑をまじえながら後々まで私(坂本一亀)をからかった。
   「後半の粗さは息もたえだえに疲れてきて、
    しかも締め切りを気にしすぎたことから起こった」と氏は書いているが、
   最終原稿を受け取った日、私はただ頭を下げるしかなかった。』(p.55)
三島本人がこのエピソードをいろんなところで吹聴していますが
後半の粗さが督促に起因するかどうかは別として
実際の督促ぶりも相当だったんでしょう。

それにしても・・・・いやだなぁ・・・・
ギャグやシャレを飛ばしてもマジメに怒りそうだもんなぁ、こういう人。

そして、鬼編集長坂本一亀さんは
文芸時評を一冊の本にまとめるという企画力や先見性もあり、
さらに河出書房版のケルアック『路上』(翻訳)の企画・出版も
最初に手がけられました。
日本の新人らみならず、海外の作品にもアンテナを張り巡らしていたらしい。
ケルアックの『路上』は私も好きなのですが、
もとは坂本さんのおかげで日本でも読めるようになったらしいです。

しかしだ・・・

坂本一亀さんが並ならぬ眼力と集中力、先見性、熱意を伴った編集者であることは、
よーくわかりましたし、尊敬いたします。
でも、彼のような上司と仕事をするのは並大抵でないでしょう。
その意味で、数々の作家および彼と共同で仕事をされた編集者の方たちに
「ありがたやー」「おかげさまで」と頭が下がる思いです。
なぜならば、へこたれなかった作家さんや編集者さんたちのお陰で
私たちは名作が読めるのですから。
作家も含め、周囲の人たちに「ご苦労様でした賞」です。

編集者も作家も、やはり突出した個人の力だけではないのね、
すべてのみなさまのお陰です。

関連
・特集2 編集者という仕事 『早稲田古本ネット』
 (編集者の仕事 出版ジャーナリースト 塩澤実信)

http://www.w-furuhon.net/blog/000050.htmlより。
中上健次や島田雅彦、吉本ばななを発掘した編集者の寺田博さんは
坂本一亀さんにしごかれたそうです。その寺田さんは、一亀さんの仕事ぶりについて
『たとえば、生原稿を食いつくしたようにして読み、
 句読点のつけ方一つで著者と論議していた。
 題名を決める時はもっとひどかった(中略)。
 「良い原稿にするためなら決して手は抜かないぞ」という信念が、
 その仕事ぶりによく表れていた』と語っているそうです。
また
『高名な作家でも、書き直しはざらだった。新人は徹底してしごき、
 二年、三年越しの数百枚の労作も、何回となく書き直しを命じた。
 ある新人は「今回も駄目を出されたら、坂本編集長を刺してやろう」
 とひそかにナイフを懐にしのばせていたという伝説もあった。
 書かせる側も書く側も、まさに命がけの勝負だったのである。』

すさまじく作家を磨いたようです。
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