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だいぶ前に買ったまま何年も読んでいなかった本を
何を突然思ったのか9月頃から細々と読んでいるのですが、
この本もその中の1冊。

『伝説の編集者 坂本一亀とその時代 』
20071024222104.jpg
著者:田辺園子 作品社 2003年
http://www.bk1.jp/product/02337822

河出書房の編集者であった坂本一亀(かずき)さんの評伝です。
著者の田辺さんは新卒後数年間、坂本さんの部下として河出書房に勤務されました。
その後、坂本さんの元を離れ、
編集者としてさまざまな作家を手がるとともに文筆活動もおこなっておられます。

この本を著したきっかけは
子息の坂本龍一(ミュージシャン)さんから頼まれたことがきっかけだそうですが、
当時、存命中の一亀さんは
「出版ハ、自分ガ死ンデカラニシテクダサイ。オ願イシマス。」
と白髪の頭を下げて著者に頼んだため、出版は一亀さんの死後となってしまったとのこと。
ただし、一亀さんは生存中に原稿を丁寧に読み、
おおまかな指示と細かい要望を著者に提示したそうですから、
この本は一亀さん公認の評伝といえるのではないでしょうか。
田辺さんの格調高い名文で坂本一亀さんの仕事ぶりが綴られています。

さて、坂本一亀さんが手がけた作家および作品は
小田実『何でも見てやろう』、三島由紀夫『假面の告白』、
高橋和巳『悲の器』、水上勉『霧と影』をはじめ
野間宏、中村真一郎、井上光晴、山崎正和、島尾敏雄、黒井千次、椎名麟三ほか
錚錚たるもの。
しかも各作家がまだあまり有名でない頃に坂本一亀さんが発掘し、
書き下ろしを頼んだのだそうです。眼力がすごい人だったんですね。
しかし、当時まだ無名に近い存在だった作家たちに書き下ろしを頼むということは
自分や会社がリスクを負う可能性もあったでしょう。

それでも坂本さんはピューンと竜巻を起して突っ走っている状態。
往々にしてこういう人がいると周囲は大変なものですが
やはり周囲の人たちは大変だったようです。
たとえば

 『坂本一亀の軍隊式命令の前では、部員たちはつねに結果を報告するだけで
 細かいいきさつなどを説明する状況ではなかったのである。
  坂本一亀は「俺ノ命令ダッ!」「言ウ通リニシロッ!」と、
 言論の暴力ともいえる命令を下すワンマン編集長だった』(p.126)

 『坂本一亀の足跡を辿ってみると、先鞭を付けた仕事の連続で、
 確かに「偉い人」に違いないとは思うのだが、
 その横暴ぶりは「偉い人」とはとても言い難く、
 坂本一亀は周囲の人々にとっては、しばしば「困る人」でもあったのである。
 軍隊方式は、職場で通用するものではない。井上光晴ならずとも、
 取っ組みあって打ちのめしたいと思う人は何人もいたのではないだろうか。
 坂本一亀が出社しない日があると、その日はほっとして伸び伸びしたものだった。
 (中略)
 一人前に仕事ができる編集者は、坂本一亀とともに長く仕事を進めることは出来ない。
 当時、河出の編集者で、別の部署にいた藤田二三男は、
 「決してスタッフとして働きたくないものだ」と記しているが、
 それは大方の本音であったろう』(p.142)。

 『「編集者はサラリーマンであってはならない」というのが、坂本一亀の持論であったが、
  それは坂本一亀自身が
  サラリーマンに徹した仕事が出来ないということなのではないか。
  人間同士の接触であれば、誰でも、
  ビジネスとばかり割り切ることば出来ず、
  相手によって人間的な思いを抱くことは当然でもあろうが、
  坂本一亀の場合は、
  それが通常人の場合よりも特に強いように私には見えた。
  坂本一亀は、いわば全身全霊をかけて、
  つねに精魂をこめて仕事に立ち向かう編集者であり、
  おざなりな進め方を嫌った人である』。(p.112)

たいへんだ。横暴と「困る人」。人と自分に区切りがない。
本当はとても繊細で傷つきやすい人だったのではないかと思いますが
仕事の場で「横暴と『困る人』」の度を超えてやられると、
たまったものじゃないですよねぇ・・・・・。こまる。
それにこういう人だち敵も多かったんじゃないでしょうか。


作家に対しても、仕事のやり方は変わらず。


たとえば黒井千次の場合
 『80枚程度の作品だったのだが、それからが大変だった。
  当時の記録をとりだしてみると、一月の中旬に書きあげて読んでいただいた原稿を、
  三月の末までかかってまず書きなおしている。
  八月までが二回目の書きなおし。次の年の二月までに三回目、六月中旬までが四回目。
  (中略)
  これでまた文句を言われたら、もう原稿をひきとろう。
  これで駄目なら、もういいです、と今日こそ言おうと思いながら
  (編者部の)真中のすり減った木の階段を何度も昇った。
  それと同時にこれだけやったのだからもう意地でもこいつを
  「文藝」の活字にしてもらわなければ引き返せないという気持ちも渦巻いて来る』
  (p.130)。

今の時代みたいにPCやワープロのソフトで原稿を打っていたのではなく、
手書きの原稿用紙の時代。
それだけでも「お疲れ様です」と頭が下がる思いなのですが
都合4回の書き直しということは、80枚が320枚にもなったんですね。
話を聞くだけでも、胃が痛くなります。
せっかく書いた卒論を書き直しさせられたというような、そんなやわいレベルではないです。
血を吐くような思いだったでしょう。


さらにもっと悲惨なのは『霧と影』を執筆していた頃の水上勉
 『・・・・推理小説というものを書くと本にしてくれる時節らしい。
  これならわしも書けるかもしれんと思うて、『霧と影』を書いたんや。
  それを坂本一亀という人がおって、それを四へん書き直させた。
  七百枚の小説を四へん書き直すと二千八百枚、コクヨの原稿用紙に書いた。
  ごぼっごぼっと四回とじた時の気持ち考えてみろよ。・・・・』。(p.82-83)

700枚が2800枚になってしまったとは・・・・。
手や指も相当痛かったと思う(そんなレベルの話じゃないけど)。
4回というのが一亀氏のキーワードなのかもしれませんが、
水上さんの場合は枚数が枚数だけに黒井さんよりもきついです。
申し訳ないけど、鬼ですね鬼。シゴキでしょう。

でもわかるような気もする。
偏執狂的にならないと「自分が」満足できるものが上がってこないこともあるから。
「何度聴いても1st albumに満足できない」といって、
スタジオに篭もったりミックスを続けている(今も続けているのかな)
The La'sのリー・メイヴァースや、
Pet Soundsを作っていた時のブライアン・ウィルソンみたいな人は、
そういうタイプの人じゃないかと。
ただし一亀さんはそれを命じる人なので、立場や環境が異なりますが。


悲惨話はつづくよ。


一亀さんが井上光晴の『地の群れ』(原稿用紙250枚)に携わったときは
  『二日後の夕方五時、新宿茉莉花でおち合い、
   便箋二十枚のノートを見ながら一枚目から読後感を述べはじめた。
   三時間のあいだ、きみ(井上光晴)は終始だまったまま聞いていた。
   細かい表現上のことはともかく、題名を変えること、
   一部分を独白体にすること、結末を書き足すこと等々は、
   きみの逆鱗にふれるかもしれないと思っていたが、
   一言「わかった」ときみは言った』(p.126)
3時間も黙って聞いていた井上光晴の心中はいかばかりか。
しかし井上光晴も水上勉も黒井千次も
先述の田辺さんの言葉
 『いわば全身全霊をかけて、
  つねに精魂をこめて仕事に立ち向かう編集者であり、
  おざなりな進め方を嫌った人である』を感じていたからこそ
従ったのでしょう。


そして三島由紀夫の場合

  『「仮面の告白」340枚の原稿は2回に分けて受領した。
   3月上旬に250枚と4月下旬に残り全部である。
   当初の締め切り予定は2月一杯であったが、
   筆を下ろしてから前後5ヶ月かかったことになる。
   追込みにはいる時点では連日徹夜状態であり、その督促ぶりのはげしかったことを、
   三島氏は例の嘲笑をまじえながら後々まで私(坂本一亀)をからかった。
   「後半の粗さは息もたえだえに疲れてきて、
    しかも締め切りを気にしすぎたことから起こった」と氏は書いているが、
   最終原稿を受け取った日、私はただ頭を下げるしかなかった。』(p.55)
三島本人がこのエピソードをいろんなところで吹聴していますが
後半の粗さが督促に起因するかどうかは別として
実際の督促ぶりも相当だったんでしょう。

それにしても・・・・いやだなぁ・・・・
ギャグやシャレを飛ばしてもマジメに怒りそうだもんなぁ、こういう人。

そして、鬼編集長坂本一亀さんは
文芸時評を一冊の本にまとめるという企画力や先見性もあり、
さらに河出書房版のケルアック『路上』(翻訳)の企画・出版も
最初に手がけられました。
日本の新人らみならず、海外の作品にもアンテナを張り巡らしていたらしい。
ケルアックの『路上』は私も好きなのですが、
もとは坂本さんのおかげで日本でも読めるようになったらしいです。

しかしだ・・・

坂本一亀さんが並ならぬ眼力と集中力、先見性、熱意を伴った編集者であることは、
よーくわかりましたし、尊敬いたします。
でも、彼のような上司と仕事をするのは並大抵でないでしょう。
その意味で、数々の作家および彼と共同で仕事をされた編集者の方たちに
「ありがたやー」「おかげさまで」と頭が下がる思いです。
なぜならば、へこたれなかった作家さんや編集者さんたちのお陰で
私たちは名作が読めるのですから。
作家も含め、周囲の人たちに「ご苦労様でした賞」です。

編集者も作家も、やはり突出した個人の力だけではないのね、
すべてのみなさまのお陰です。

関連
・特集2 編集者という仕事 『早稲田古本ネット』
 (編集者の仕事 出版ジャーナリースト 塩澤実信)

http://www.w-furuhon.net/blog/000050.htmlより。
中上健次や島田雅彦、吉本ばななを発掘した編集者の寺田博さんは
坂本一亀さんにしごかれたそうです。その寺田さんは、一亀さんの仕事ぶりについて
『たとえば、生原稿を食いつくしたようにして読み、
 句読点のつけ方一つで著者と論議していた。
 題名を決める時はもっとひどかった(中略)。
 「良い原稿にするためなら決して手は抜かないぞ」という信念が、
 その仕事ぶりによく表れていた』と語っているそうです。
また
『高名な作家でも、書き直しはざらだった。新人は徹底してしごき、
 二年、三年越しの数百枚の労作も、何回となく書き直しを命じた。
 ある新人は「今回も駄目を出されたら、坂本編集長を刺してやろう」
 とひそかにナイフを懐にしのばせていたという伝説もあった。
 書かせる側も書く側も、まさに命がけの勝負だったのである。』

すさまじく作家を磨いたようです。
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